#12/すべての満ちし時

 荘園は一階建てで木造の家が多いので、レンガ造りで二階建ての建物が多い協会の景色にきょろきょろしていると、「明らかによそ者だろう、不可侵条約があるんだぞ。前見て歩いてくれ」と帝に耳打ちされ、灰河狭李にじとりと睨まれた。
 そうこうしながら辿り着いた、協会本部。真っ白なレンガ造りの、どこまでも塔のように高い建物だった。まるで若が神楽を舞われるような舞台まで設置されていて、けれど首を大きく傾けないと見えないような高い位置に。不親切だろう、首が痛い。思いながらもまた文句を言われる前に、と正面に視線を戻し、本部へ入って行く三人のあとに着いて行く。

「獲物を取り上げられないとは意外でした」
「お前をそこまで警戒しちゃいねえよ、護身用にでもとっておけ」

灰河に殺されて国際問題にでもなったら堪らないからな。
 そう言われ「そんなこと致しません」と必死に否定しているが、この女、前は俺に息の根を止めてやりたいとか言ってなかったか。あまり覚えていないのだが。
 曰く来成叭玲という少女と帝は、ここで暮らしているらしかった。少女は身寄りがないことと御上の姫であることから帝が引き取ったという。帝がここを住まいとするのはただそういう決まりごとだからであるらしい。

 若が当主になられて五年。俺が【第十六代目】である「この帝」と初めて会ったのも、五年前も前のことになる。帝も当主のように継がれていくものらしいが、選ばれた人間はその時に本名を捨てるらしい。だからこの男も、等しく。
 対談は二人で執り行われるうえに城安島に泊まるのも一日だけ、まともな会話など交わしたことはなかった。交わそうとしても恐らく、灰河によって作られる物理的な距離の問題で叶わないのだろうし。
 若に害を為さなければそれで良い、そのことしか頭にない俺は、この帝という男についてをよく知らないし興味もない。若もあまり帝に関してを喋ろうとはしなかった。対談の行き帰りで一度も話題に挙がらないし、振ってもすぐに終わらせてしまうのである。誰しもを受け入れ慈愛深く接する若のその態度を見れば、意図的に男の話を避けているとは明白すぎる事実だった。少女と灰河の話は至っていつも通りにからからと笑ってするのだから、なおさら。若が態度で「避けている」と明白に俺に教えているということであるし、俺としてもやはり興味はないから、帝、という音の並びがふたりの間に響くことはほとんどない。
 意図的に避けているということは不快に思う所以があるのだろう、理由が気にならないわけでもない、若をお守りするこの身だ。だから知りたいのだと言えば、その話題に触れるなと示されてなお、その暗黙のルールを破り一線を無礼に踏み越えたとて、聞けば寛大に答えて下さる人ではあるだろうけれど。とはいえ如何せん、自分も帝に積極的な興味がないおかげというべきか、若の引いた線を踏み荒らすことはせず済んではいる。
 荘園現当主にお仕えしている身でありながら、協定を結んでいる国の頂きに立つ男のことをだ、興味がないので、でほとんどを知らぬまま。そうして若も、それを許していた。恐らく俺の知能に期待していないからなのだろうけれども。

 俺も本部の空き部屋……二人しか住まないのにやたらに部屋はあるらしい、その一室に泊まることとなった。とりあえず明るいうちに上主様への土産と写真をと、懐から取り出した平包みを解き、買い出しの準備をする。

「確かに藤天晴は天雀よりほんの僅か信用できるだろうね、けど協会にそこまで思い入れがあったなんて知らなかったよ」
「自分も驚きました」
「……信用ならないね、天雀なんかの遣いだろう?」
「これは若の命ではありますが、元々は上主様のご意向です。一緒くたにするのは短絡かと」
「どっちも似たようなものだろう」
「おいおい、本部の物を壊してくれるなよ。荘園の者を招いたなんて侍女にも悟られたくないからな」

しばらく民の出入りを禁止して俺は休むが、くれぐれも喧嘩しないように。
 まるで子供に言い聞かせるような言葉を残して、帝はドアの向こうへ消えていく。残ったのは不要と言われていたはずの見張りである灰河狭李と、神の声を聞く少女――来成叭玲。あたふたと俺と灰河の間を行ったり来たりしていたが、帝の一言でひとまず鎮火したのを見て安心したようだ。溜め息とともに胸を撫で下ろしている。

 七つのときに拾われ、神の声を聞き国を救った、幼子。哀れだと、若がそう表現する娘。
 それがなにを指してのことなのか、昔は考えたこともなかった。少女のおかげで協会が潤い自立すれば、上主様――当時の当主であった天晴様が行っていたような支援は必要なくなり、それは結果として荘園の経済や物質的な負担もなくなる、ということである。なにより貧困や病に喘がされる日々が終わったのはいいことだろうと、たまに思うのはそんな程度で。

 けれど最近だ、若が「現つ神」となられてから五年、気付いてしまった。
 幼くしてその身を国に捧げるという一生が定められたこと、自由のない籠の中の神宮女《かぐめ》。そしてなにより――なんの代償もなく神に近付けるなどということは、有り得ない。
 宿して同化……「そのものに成る」ことと、人間のまま神に「毎晩近付き触れる」こと、どちらのほうが負担が大きいのかは分からない。なれども二口、三口しか食事の摂れない身体構造、味覚と記憶の障害。あれはもしかしたら、神を聞き続けるがゆえの弊害なのではないか。
 そうしてそんなことを帝により余儀なくされているこどもを若は、哀れだ、と。余儀なくする男の話をしたくない、と。そう仰るのではないか。



 許せなかった。本当だ。藤という家を、国の安寧を保つものを気紛れに弄ぶこと。
 それでも、そう、だからこそ出来損なった自分は契約した。いつかに藤を汚した者として処罰されるために。天雀という男に、二度と契約を与えないために。
 だというのにその日は一向に訪れないまま彼は現つ神となり、そう、天照となり国を灯して。あの神降ろしのとき微動だにしなかった若を見て、やはり、ひとではなかったのだろうと、どこか腑に落ちてしまった自分がいた。
 思い出していたのだ。契約を交わしたときのあの、苦痛、なんて一言では言い表せない苦しみを。

 降ろして間もなく、初陣の日がきた。これはもはや恒例だ、当主が変わると今度こそ藤の地位を奪えるかもしれないと思った一族が、こぞって束になりやって来る。
 過酷な戦いだった。何度死が首元をよぎったかも覚えていない。前線で絶対を示す必要のある若は、それ以上の危難に幾度も襲われたはずだ。それでも自分が供給する法力と、微々たるものだが事前に渡しておいた札とで、若は無事に乗り切った。完璧な「絶対」を示して。
 幾日にも渡る戦闘に出来上がった屍山血河をあとに御所へ戻ると、そういう国だ、すぐに宴会だと喜び祝杯をあげることになった。若も本家や分家の親族や協力した一族と、愉快そうに笑って呑んでいた。
 気付くべきだった。喋って笑うばかりで、いつもよりよほど呑まれていないことに。
 そろそろ休まれてはと、この時ばかりはさすがに俺も多少の心配があって声をかけた。自らが越えた死線をはるかに凌ぐような、そんな想像を絶する戦いであっただろうから。
 絶対を示すため最前線に立つ当主、それは敵にしてみれば狙う大将の首が丁度よく最前線に留まってくれるということなのである。常に四面楚歌――そんな盤面だろうと相手を絶望させるほどに強く神さびて其処へ御座す、天照。そのために当主となった今日の若はまさしく、神々しいほど、何もかもを圧倒していた。
 それでもやはり、神が馴染むまで扱いには苦労するもの……らしい。それに俺の法力だってよほど少なかったことだろう、代替わり時の反乱は相手も多い。圧倒、していたからこそ疲れているのでは、と、少し。だから休まれてはと提案したのだが、まだ夜の九時、荘園の民はここからだ。まずもって必要ないと言われるだろうと予想はしていた。
 しかし珍しいことに「たまにゃあ小言ん耳傾けらるか」と、素直に宴会場をあとにしたのだ、若は。

部屋までお送りします。過保護んこっちゃあ、いらんいらん。

 酔っているのか若干ふらつきながら若が歩くので、いらんというのは聞こえなかったことにして、半歩後ろをついていく。そうしてしばらく、喧騒がいくらか遠ざかって、そのころだ。

 若が崩れ落ちるように倒れて、――脊髄反射で受け止めた。

 ここでようやく、あれ、と思った。いつものような呑みすぎならば、微かにアルコールの匂いがするはず。それが今はひとつもない、第一呂律もしっかり回っていた。

「若? 呑みすぎ、じゃあないですよね、やはり疲れて」「ハヤト、なにゆえか、こりゃあ」
「はい?」
「なにゆえに吾れを支えようた」

なんのためか。
 想像もつかないような静かな声、見たこともなかった青い、うつろな顔。
 何でも何も、と。頭は呆然とする。当たり前のことをしただけだ、普通は倒れそうなひとを無視して床に転がしたりなどしないだろう、
 ひと、……ああ、

「若が、倒れたので。早く寝ましょう」
「お内勘違いしとりゃせんか、酔うただけじゃあ」
「酔っ払いの顔はそんなに死人みたいではありません」
「はは、死人、か。吾れはひとか? なぁ、ハヤトよ」

「あぁそうさな、天照ん食い潰さられようでは、まだ神にもなりきられとりゃせんのやろうて」

 ひとではなかったのかと問うたとき、このお方ははぐらかした。
 そうして今、神にもなりきれぬと言った。
 天照に、食い潰されると。

 どういう、と、問いかけようとしたときには、若は気を失われていた。動転しかけたが一度深呼吸をし、白んでいた頭が視界が、色を取り戻す。
 ああ、なぜだ。どうして俺はあのとき、神降ろしで身じろぎもしなかったこのひとのことを、「ひとではない」、それで納得などしたのだろう。神をひとの身に宿す、そんなこと、やはり平気なわけがないのだ。あのときの自分と同じように、苦しくて眩暈がして吐き気がして、苦痛に叫びたかったに違いないのに。
 それでも若には生まれからずっと、覚悟があった。ひとか、問われて答えられないほどには、意識が神を受け入れていた。きっとあの儀式で苛まれる未来も、それからずっと現つ神として祀られ戦う定めも、ただゆるやかに飲み下した。
 だから聞いたのだろう、「何に見えるか」と。だから呟きを落としたのだろう、「神にもなりきれていない」と。与えられた役目が神だっただけのこのひとは――きっと自分がなにでありたいのか見失ってしまったのだ。

 若を寝室までお運びして、布団へ横たえる。それはまるで本当に、死んで、いるかのような顔。
 そうだ。このひとは、死んでしまう。
 神は死になどしないだろう。であれば間違いなく、このお方は。

 天照としてその力を使うほどに命が削れて死が加速する――藤分家の人間とその契約者のみが知るその事実、それを俺がやっと聞いたのは。俺に問われた若が淡々と告げた、翌朝のことだった。
 言ってくれもしなかったことに、ただただ無力感を抱いていた。ならば昨日だってあんなにひとりで無茶などさせなかったのに、前線での絶対など知ったことじゃない。倒れたのは力を使いすぎたのだ、命を短期間に削りすぎて、消耗したのだ。
 二度と御免だ。若はひとだ、次は目を覚まされないかもしれないのだから。



「観光は済んだのか」
「ええ、あの女に嫌味を言われながら」
「そりゃァ何よりだ」

 灰河狭李と、御上の姫と呼ばれる少女と。三人で、帝の部屋に招かれていた。曰く帝が自室に他人を招くなど天地が引っ繰り返るほど有り得ないことであるらしい。が、何でも見せたいものがある、ということで集められているのだった。
 男が煙管をふかし煙をくゆらせる向こう、つよく見える満月が、ただ煌々と輝いてはいやに、眩しい。そう思ってなにとはなく見ていれば、

「今日は、満月だな。叭玲、あのフラスコを持っておいで」
「はーい、帝さま」

 フラスコ、と首を傾げる間もなく、少女はぱたぱた忙しなく走っていき。また同じような足取りでもって帰ってきたその手には、確かに小さなフラスコが抱えられていた。中ではゆらゆらと澄んだ水が、静かに揺れている。それを見るとなぜかざわりと、胸騒ぎがした。
 それを、と帝に手を伸ばされ、ためらいなく来成叭玲はフラスコを手渡す。窓際に置かれたフラスコはことりと小気味の良い音を立てて、またいっそう、中の水は揺れた。
 煌々、かがやく満月は、帝が背にする開かれた窓の、ぴたり中心。

「あぁ、この時をどれだけ待ち侘びたか。なぁ? 叭玲――心力をすべて放出しなさい」

 え、と、言ったのは灰河狭李だ。丸い目をして。
 瞬間、帝の声と月に共鳴するかのように、少女の下げていたペンダントが強く光り、またたきはじめた。それを中心として、油断すれば足元を攫われそうなほどの強い、強い風が吹く。丸く広がるように。少女はまるで人形のように光のない瞳をして、ぼんやりと天井を見、足は地からわずかに浮いて、まるで意識を失ったように微動だにしない。ただ体を持ち上げるように、天井に引き寄せられるようにはためくペンダントが、きらきらと月の光を反射していた。
 少女を守るように、はたまた操るように円状に広がっていく風は、カーテンを激しくたなびかせては弾き飛ばし、襖もすべて取っ払って、窓さえを割る。
 なおいっそうに満月の輝きが部屋を照らし出して、ひどく、まぶしい。

「帝様、なにを……そんなことをしては、御上様のお体が!」

 風のなか灰河狭李は叫ぶ。届いたろうに、まるで何も聞こえなかったように男は、帝は、笑って。

「はははっそうだ、素晴らしいぞ叭玲! これだけの心力があれば間違いなく遂げられる、神降ろしも、変若水《おちみず》の完成も!」

 ――神降ろし。
 本当に男はいま、たしかに、そう言ったのか。
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