#4/御上の姫
胸元でペンダントがちかちかと光る。
光るのだ。
舞台に立つ。民がわたくしを仰ぎ見る。
「神は仰られました、暴れ出で民を脅かしもの、市街へ向かうだろう」
御上の姫はただ、宣託を告げる。
舞台をあとにし、本部の廊下へ戻る。――なぜか分からない、夢に聞いた神さまの御言葉を舞台でみんなへ知らせている、ただそれだけのことであるというに、宣託のあとはどっと肩が重くなり瞼すら落ちては視界を閉ざそうとするような、そんな疲労に襲われる。なれどわたくしが【御上の姫】である以上、沈んだ顔は誰ひとりにとて見せたくない。
しゃきっとしなきゃ。ぺち、両頬を手で挟む。痛い。
「お疲れ様……って御上様、何してるんだい?」
「んん、昨日夜更かししちゃったの。まだねむくって……ばれたら帝さまに怒られちゃうから!」
廊下に入ってすぐのところでは狭ちゃんが待ってくれていて、なんとか不審な挙動の言い訳。それに苦笑いを浮かべた狭ちゃんは水の入ったコップを手に、どうぞ、と肩を竦めてみせた。受け取ると一口含んで飲み下す、程よくつめたいそれが喉を滑り落ちる感覚がひどく心地いい。ふう、と肩を落としてようやくひと息ついた。それを見た狭ちゃんがすぐに手を伸ばし、わたくしからコップを受け取ってくれる。
本部にいるときのわたくしたちは基本、「神の子」と「護衛」、なのだ。そう、彼女はこの国で唯一神さまのお声を夢のなかで聞くことができる御上の姫……神の子の、お守り。それこそが正しい姿、あるべきかたちと分かっていようと、わたくしはふたりきりになれない空間が、立場が、ときおりひどくさみしくなる。
灰河狭李という女性は、彼女は――無鉄砲で落ち着きのない、危なっかしくも国に必要不可欠たる【御上の姫】、その世話係であり護衛であるのだ、と。灰河狭李が来成叭玲の側に仕えるは帝さまの命がゆえ、という確固たる事実をわたくしに知らしめる瞬間は、日常のどこかしこへ転がっていた。本部で、人前で、魔物討伐の任務で。ふたりきり、なんてごくわずかな時間以外での彼女の対応が言動が、わたくしたちは違う場所に立つ人間なのだと気付かせる。
狭ちゃん自身の意識は分からない、わたくしには彼女の本心……わたくしを「なに」と認識しているかなど、夢のなかでさえ聞くことは、叶わないから。それは当たり前だけれど、それをさみしいと思うわたくしは、奥底にあるかすかななにか、は――なんなのだろうか。
欲求、願い? わがまま、……孤独感? あるいは、
「御上様ってば、どうかした? やっぱり変だけれど……本当は調子、悪いのかい?」
「ぅえっ、あ、大丈夫! ほんと、寝不足でぼけーっとしちゃうだけ、え、えと……今年は! 乾季、すこし早かったね!」
「……そうだね。怪我人が出ないよう、私も征戦で気張らないと」
「じゃあわたくしも行く!」
それは帝様が許せば、ね。
あぁ、また。わざと誤魔化されてくれながら言ういじわる、わたくしがそれにむくれて頬を膨らますと、狭ちゃんはごめんごめんと眉を下げ笑った。
普段から魔物は人間に対し敵意を持っていて、視界に入れば襲ってくる。その凶暴性がより活発になり移動範囲も広まる時期で、第一に何より、ほとんどの作物が育たないほど土地が乾いて痩せてしまう時期、でもある。それが今日訪れた「乾季」、だ。魔物たちは普段、自分たちの住処周辺をうろついているのが基本だけれど、乾季に入ると積極的に群れで市街を襲いだす。
狭ちゃんが所属している討伐隊が最も忙しくなる、と同時、本部――つまり国からの正式な討伐依頼であるので、討伐隊の人々にとっては一番の稼ぎ時であったりもするわけなのだった。ちょっと皮肉だなぁなんて、思わないこともなかったり……。
ちなみに。討伐隊に籍を置きながらにして、わたくしの護衛、という帝さま直々のお仕事も兼任している狭ちゃんの立場は、特例中の特例。本当は戦力としてもっと貸してほしいって声が多いみたいだけれど、一応優先順位の高さは「帝さまのご命令」……つまりわたくしの護衛とお世話が上回るから、狭ちゃんが討伐に出ることはそんなになかったりするのである――ので、ときたま狭ちゃんが討伐に出るたびわたくしも着いて行きたいと、毎度帝さまに駄々をこねているのでした。
だって普段、本部街のそとになんて、出ないから。なんなら本部から出ることだって、いちいち帝さまの許可が必要なくらいなんだもの。体を動かしたくもなる。
協会は半島になっていて、海や川のものが獲れる。この時期が旬であったり乾季の間だけ獲れる魚だってあるから、ほとんどの作物が育ちにくい期間であること、魔物による被害が増える危険性が高まることは事実でも、復興前ほどの飢えには到底及ばない。この期間でだって、ひとびとは幸せそうに暮らせている。
魔物は人を襲う、そんなの常識。けれどお隣の国――荘園は、そうではないらしい。
こちらと違い土地が肥えていて木がたくさん生えている、どころか林だなんてものもあるのだとか。その林業に加え魔物を家畜とした畜産業が盛んで、なんと信じられないことに「小さい魔物はペットとして飼われたりする」くらいだ、と、『あのひと』から聞いたことがある。
「荘園の民はみな短気」、噂ではそう聞くけれど、どうして魔物は彼らに対し友好的なのだろう。協会と、何が違うのだろう。
気象が違うからきっと現れるものも違うのだ、初めはそう思っていたけれど……荘園さんと結んでいる協定について、ときどきお話をしに行く離島。そこで『あのひと』に会った時、出てくる魔物はそう変わらないのだと、教えてもらった。それから荘園の人もみんながみんな短気なわけではないのかな、なんて風に思った記憶がある。だって教えてくれたその人は、ずっと楽しそうに笑っていたから。
そう、隣国の「荘園」とわたくしたちは、協定を結んでいる。
この「協会」という国は、今も毎日救いをくださる【神さま】こそが唯一で、絶対。それからたったおひとりで国を蘇らせ、その後遺症に右目を焼かれ陽のもとを長くは歩けなくなって……それでもなお、国のためと政を担い続けて下さる【帝】さま。
その人と神さまへ、日々の平和を下さる感謝と祈りを捧げる人々、それでもってこの国は成り立っている。過去の貧困とそこからの脱出を辿れば当然そうなるわけなのだけれど、向こうは、違う。
【ひと】、が。神さま、なのだ。
国を治めている、かの――藤天雀《あまざく》というそのひとこそ、ただ唯一で絶対的な存在、象徴とも呼べる【国のすべて】で……ひとでは、ない。
そう、帝さまが仰っていた。
どうして「ひとではない」のかは、分からないけれど。でも、その扱いはわたくしたちが仰ぐ「神さま」と、似ている。けれど「唯一で絶対的」と定めるものが人と神では真逆、であるからこそ、協会と荘園は相容れない……らしい。
つまり民が鉢合えば、思想の相違から確実に、戦争になる。協会が復興してからはそういった理由で、不可侵、つまり「互いの大陸を行き来しない」ことを取り決めて、その上で経済や暮らしの豊かさと発展のためにと、特産物の輸出入だけは執り行っていた。その金額の交渉もまれにされているけれど、協定の維持も顔合わせも、主にはあくまで友好的でいようとする意思を示しあうためのもの。戦は望んでいない、という意思の確認のための接触である……らしい。戦になれば互いに多くを失うし、帝さまも藤天雀という人も、それを望んでなんかいない。
そういう対談、意思確認のための会議は年に二度、行われている。不可侵条約のためどちらへ足を踏み入れるわけにもいかない、ということで、互いの大陸、その中心点に位置する無人の小さな離島に会場を建てたのだ。
……、むつかしい話はよく分からないので、ほとんど……八割くらい、狭ちゃんや帝さまの受け売りなのだけれど。
そうして忙しなく政をする帝さまと違い、わたくしの日常が特に変わることはない。
帝さまの許可が下りれば市場に出てはみんなと言葉を交わし、あれこれ勧められながら買い物をして、その帰りに狭ちゃんと喫茶店へ寄りお喋りする。内容は新しい少女漫画のことだったり、魔物討伐のことやその日の宣託の内容についてだったり、さまざまだ。
そうして帰って、夕食を食べて。そして満月の夜には――眠る前に、涙を落とす。その先のフラスコは、もう半分ほどに溜まった液体を揺らしていた。
帝さまが仰ったのだ、満月の光を浴びながら涙を溜めなさい、いつか必ず心術を扱えるようになるだろうと。
それらの穏やかな日常に変化が訪れるのは、ひとついつもと違うことが起きるのは、週にたったの一度だけ。
帝さまとの儀式は、一週間に一度行われる。
これはまだ幼いわたくしが、絶えず神さまを受け入れるための行為。かのお声を聞くことができる「神の子」であり続けるため、必要不可欠なことなのだ、と……、帝さまは教えてくださった、のだ。そうして復興のため多量に費やした心力で弱った体でなお、わたくしのために、国のために、【帝】の神聖で強力な心力を、わたくしに授けてくださる。
これは、そういう【儀式】であるのだ。嘘なわけない。
日曜の夜、必ず帝さまはわたくしをお部屋へお呼びになる。わたくしが深々頭を下げることから始まり、それは一時間かけ、厳かに行われる。
帝さまはもとからひとがご自身の部屋へ近づくことを良く思われない方だけれど、わたくしだけは別で、それから儀式のときは本部内に誰一人いてはならなかった。そういう決まりだった。
「叭玲、もっと美しくなれ」
「……はい、帝さま」
分からなくても帝さまの仰ることには頷かなければならない。ならないのだ。もっと、と言われてもどうすればいいか、
「どうすればいいか、なんて簡単なこと、そのうち分かる」
ペンダントが光る。わたくしは無意識のうちに頷いていた。
このペンダントも帝さまがくださったものだった。拾われて目が覚め、はじめて帝さまをこの目にしたときに。名前をわたくしに与えると同時、その手で首にかけて下さった。
――お守りだ、これから神の子となるお前に。
そう言って笑ってくださった帝さまに、わたくしもどうしてか微笑み返した、……どうしてかって、それがあるべき姿と思ったからだ。それ以外にないでしょう。
帝さまは優しい。
それなのにどうして、儀式のときだけこんなにも、恐ろしいと感じてしまうのだろう。
「帝さま、今夜もどうか叭玲をよろしくお願い致します」
「あぁ、疲れるだろうが御言葉のためだ」
優しくわたくしの頭を撫でる手を叩き落してやりたい。
そのまま帝さまの手は私の肩をそっと押し、ベッドへ横たえた。
「帝さま、おはようございます」
振り返らない黒い後ろ頭に、手をついて深く頭を下げる。
「宣託の時間だ、行こう、叭玲」
「はい、帝さま」
彼の後ろを歩き、あるき、午前六時ぴたり。舞台に立つ。