過不足
ひとつ戦いを終えて、今日も無事に勝ち残ったと。そう喜べもしないいつもの深夜のこと。
少女はベッドに腰掛けて半身を捻り、雨が叩くばかりの窓を見ていた。あるいはそのせいで何も見えないはずのその向こう。追ったところでやはり目に映るのは、はたはたと細い雨が滴り膜を張ったガラスだけ。
俺には彼女がそれをじっと興味深そうに眺めるのを理解できなかった。否、そもそもが興味深そうであるように見えるそのまなざしさえ、願望に似た錯覚なのかもしれないが。
だからなのだろう。確かめたかった。
「...なに?」
驚いているのかそれすら分からない、というようなひとみを、彼女であればしたかもしれない。そんなことすら二度と分かりはしない。
ベッドに少女を、クレアを。押し倒すと、ほんの僅かに琥珀色のガラスのふちが揺れた。その幼い仕草と湿った空気、寄ったシーツの皺と散らばる少女の髪。なにもかもがどれひとつも、無駄な足掻きである気がした。この少女が確かに生きていると、そう示す手から伝う体温でさえ。すべて俺の願いなど、きっと叶えてくれはしない。
だったらいっそ落ちてきてほしかった。彼女から、ただの少女まで。何もかもがまったく違ったなにかだと、情など湧くはずもないほどに。少女は――これはただのクレアだと。
思い出して。そう言った彼女の声が割れるほど頭で繰り返されていた。ああ、大丈夫、言われなくても思い出さなかったことはない。
少女の服をほとんど裂くような勢いで剥いで、露わになった肌の陶器みたいな白さが眩しくて、息がとまった。際限を見失いそうなあの真白い箱を、思い出してしまった。
その隙だ、パン、と当然のように破裂音がする。痛みがやってきたのはずいぶんあとのことだった。
「ねぇ、何をしているの」
それは怒っていた。あのときみたいに俺に平手を打って、僅かに眉を顰め声のトーンを下げて言う。
俺は彼女の怒りというものを見たことがない。だっていつも病室の、おそろしいほど白いだけの空間で、そこには諦めが座っていた。当然のような顔をして。あぁ彼女が怒ったならこんな顔をしたのだろうか、違う、これは朝霧暮亜ではない。
違う。これは彼女ではない。違う。
だのに、どうして俺は、少女は、少女の肩口に顔をうずめるのを許すのだ。困惑とも後悔ともつかないなにかが少女の気配から伝わってくる。少女は、諦めていないのか。
一体なにを?だれを。水滴はシーツに吸い込まれ、そうして気付かれないまま消えていくことだけが辛うじて俺を引き止めていた。
はたりと窓を叩く雨がやんでいく。昇ってきた陽にきっと俺は離れなければならないのに、そうだ、分かってしまったから。クレアという存在、を、そのたったひとりの人間を彼女から引き摺り下ろして、そうして得たのは何だったのか。差し込む眩しさに目が、頭が、望んでなどいないというに冴えていく。
希望はなくなった。落とし前すらつけられなかった。戦争も雨もひとつだって関係ない朝と夜の隙間で俺が知ってしまったのは、クレア、というたったひとりの少女にいきていてほしいと希う、形も分からない愛の自覚だったのだ。
思い出して。そう言った彼女の声が刺すように頭で繰り返されていた、ああ。そうか、そうだった、雨が降るたび思い出すのはもう、クレアを生かす戦い、クレアに生き残ってほしい願い。
いつからだ、挿げ替わったのは。だから彼女は今も俺を、雨の底へきっと呼んでいる。