#2

 情報屋。そうひとくちに呼ばれども、仕事としてこなす内容はそれぞれである。

 ここは一般人など迂闊に外を歩けもしない、そんなひどく治安の悪い「スラム」だ。貧困層、そして迫害された異能が流れて辿り着くその果ての世界――フェンスに囲われ幾年にわたり放置されたままの特異危険区域、隔離指定地。国に捨てられ何某か失ったものたちが必然的に集っては、生き延びるための道……住処と仕事、なにより殺されないための力を求め歩く、死があまりに近すぎるコンクリートに塗られた街。

 辛うじて余裕のある家庭に限れば子供を市街地の学校へ通わせてはいるものの、ああいう異常者……青い髪の男のような「異能」が常時うろつき、果てにはそんな光景さえもはや風物詩と化してしまったのがここ、スラムである。そんな戦場か市街かも曖昧な場所では、大人であろうと一度ごとの外出に命を賭けざるを得ない、といった状況に陥っていようとなんら不思議はなかった、……異能のない一般人であればこそなおさらに、である。もちろん子供をひとり送り出して通学させる、なんてわけにはいかなかった。――ではどうしているか?
 一般人にとって。日々の買い出しにおける道中ですら、どの路地から危険人物か物かが飛んでこようともおかしくない場所。それから人やら猫、物なんかを探したい時は最悪で、この特異危険区域内を目星もつけられず歩き回る……そういうはめにもなり得るわけだ。そういった面倒かつ危険を伴うものごとこそ――【開かれた情報屋】に持ち込まれることが多いのである。子供の通学の安全確保さえ、「護衛」という依頼として。

 情報屋。
 かつて国民を大混乱に陥れたことから、現在は違法とされている。なれど裏の世界に確かに息づき続ける、職人とさえ呼び得る黒衣たち――その総称。何より……異能である証左とさえ呼べる肩書き、だった。
 彼らがこなす仕事、その多くは薬密売の手引きをしていたりテロリストと手を組んだり、はたまた秘密裏に警察と繋がって異能犯罪者を追ったりなどであり、腕の良い情報屋であれば企業間のやりとりに干渉することもある。
 当然商売相手……情報を欲する相手は限られており、情報屋とは縄張り意識が強い。ゆえに鉢合わせずとも同業者に命を狙われるとはままあることであるし、加えて「情報を盗む」とはかつての大混乱以降向上したセキュリティの関係上、ただの人間が遂行するのはほぼ不可能な仕事である。
 だからこそ情報屋とは異能でなければ選べない職業であり、逆説的に異能であることを証明する「名刺」である。加え、迫害されながらにして生き残った異能たちに残された、数少ない生きゆくための選択肢のひとつとも、言えるのだろう。

 情報屋が違法とされながらにいまだ世界で息づいているのには、理由がある。単純な話――需要だ。
 一度「情報」の重要性と利便性を知ってしまった「利用者」、ないし「世界」。それらはとうに、黒衣なくして動けるものではなくなった。
 何よりも素早く、正確で、かつ自身のみが握っている情報。情報屋が運んでくるそれをうまく使いこなしさえすれば、自身は世界を先回って先回り、大きな影響力と権力ある存在へと変貌を遂げることができる。できるのだ。そんな蜜に毒されて、世界中の企業、政界、様々な存在がもう、彼らなしには立ち回れやしない依存体質と落ちている。なにより誰より優位に立ちては先を見やらんと欲を張る人間が跋扈して、だからこそ情報屋はその仕事、行いが違法と定められた今もなお、 世界から消えていない。
 ともなれば当然のこと、であるのだが。情報屋が情報なる代物を扱う際、「どこから何を盗みどこへ流したか」だけは、絶対的に知られてはならないことである。憶測をつけられ勘ぐらせることも然りであると同時、場合によっては「盗まれたとを気付かせてはならない」との条件をつける利用者もいる。そんな保身を重ねる客ほど得た知識をまともに使いはしないのが常であるが――納品したデータの使い道など関係なければ知る由もない。そんなことより「顧客の狙いが万一にも相手へ漏れる」、もしくは「顧客が疑いをかけられる」ほうがよほどの大問題だった、情報屋にとっては。
 速さと正確さが重要であると示した通り、顧客が求めるのは「信頼」だ。それを得て決して失わず、ゆえにまた依頼をもらう……このサイクルをいくつかの取引先と行える状態が、情報屋にとっての理想である。例えば情報を漏らした、複数人に売ったなどの悪い評判が行きわたれば、当然依頼がこなくなる。という、どうにも挽回のしようはない最悪の状況を作らないためにも、情報屋は「潜む」ことに非常に長けていった。
 しかして鍛えられていった優れた彼らの隠密性――動きを隠す、悟らせぬことに何より長ける、情報屋の特性。そんなことさえ、人々に情報屋を利用を継続させるに拍車をかける原因、そのひとつとなっているのだろう。


 先述のとおり情報屋という身分を明かすということは、「異能である」と声高に宣言するのと同じこと。当然奇異の目に晒され、孤立し、最悪の場合いきすぎた偏見が「人殺し」と叫ばせるだろう。
 しかしながらナツキは自らの事務所を明かし、「情報屋である」と看板を掲げ、手伝えることはないか――そう言ってひとびとに手を差し伸べ回った。仕事を得るにはまず知名度、らしい。企業同士の面倒な情報戦は頼りある資金でこそあれ、曰く「疲れるし気を遣うからたまにしかやりたくないのよね」。
 初めこそ異質なものを見る目で見られていたナツキだが……恐らく齢の十にも満たない子供のころから、情報屋としてひとりで暮らしていたためなのだろうか。孤独な少女の、なれど毒気ない笑みに絆される人間は少しずつ増えてゆき、いまや迫害すら――異能などむやみやたら人を殺す危険な生き物、「人間」ではないと言い切る【一般論】、世界に馴染んだ【常識】さえも覆し、街の人々に受け入れられ暮らしていた。
 そうやってひとに恵まれ、ひとを愛し。傍目には探偵の真似事、あるいはお遣いですらあるようにも見えるこまごました依頼をこなして、ひとりひっそり慎ましく、には事欠かない程度の賃金をもらって生きて――といった具合の、平和を何より好む情報屋であった。

 それでもスラムで生きる以上危険が伴うのは確かで、それなりの度胸と知恵、そして他でもない戦闘力を問われる場面は多くある。実際、純粋な戦闘力の高さと経験の豊富さによる安定感から、彼女に用心棒のような仕事を頼む一般人も少なくない。

 異能を宿していた時点、うまれたそのときにである。既に世間から迫害されることが確定し、表で生きていくことなど困難、……否、不可能となるほど荒んだ世界。毎日誰がしか死んでゆくことなど当たり前だろうなんて顔でめぐり続く、決まりごとみたいに陽が昇っては沈む、繰り返すばかり、の。そんな、フェンスの内側。
 けれどもナツキはそれなりに、この世界を楽しく生きていた。彼女は往々にして機嫌がいい。
 ひとを愛せる。誰しもを必ずありのまま受け止め、肯定する。その性分が、生き様が、ことスラムにおいてと言うのなら。いっそ異能以上に特殊な能力と呼べるほどにさえ希少なもので、かつその「誰もをあいする性質」がゆえ、彼女にとってもこの日々は楽しく美しいものに、そう、いとしく、映る。そんな果てのない慈愛、それは天涯孤独である少女のどこから湧いてくるというのやら、果たして知る者はいなかった

 ひとびとがいとしい、ならばこそ。それらの生きる世界としてのスラム、そこがこれほどにまでどうしようもなく命を軽んじ、秩序を拒んでいようとて、そここそ愛しいひとびとの生きる世界であるのなら。ひとびとがそう形作った結果としてまわる世界であるのなら。ナツキはすこしたりとも蔑まず、当然のこととして受け入れては、そう、いとおしむ。

 十歳、その幼さで両親を失ったナツキには、人――どころか世界、すら。恨むというちからひとつを持つことさえ、適わなかったのである。

 そんな彼女には悪い癖がある。
 スラムに住んでいながら人に対する警戒心が薄いこと。これは油断ではなくもともとの性分であった。基本的には、だが、目の前で言葉を交わしている人間に悪意と敵意ばかりしかない、という状態の想定を、避ける節がある。どうしても優しさや気遣いが隠されてはいまいかと、探してしまうのだ。それらだけはどうしても見落としたくない、という思いが強い。そしてこの癖、厄介なことに。悪意に牙を剥かれようが難なくかわしてしまえる経験、そして身体能力が備わっていたことにより、年々悪化を辿っている。実際、彼女のお人好しに付け込む悪意は時折現れるのだが、ナツキの性分とは恐ろしいほど誰にも覆せない絶対性を有していて――早い話、彼女は「自身に悪意を抱く存在」ですら、そういう状態および人間性を認め、受け入れ、愛してしまう。その様子に底知れぬ恐怖を感じてしまうらしい、いつも相手が尻尾を巻くのだった。
 加えて、そう、生き方からおおむね予想はつくであろう。ナツキは非常に「世話焼き」だった。それこそどうしようもない性分として、である。

 そしてこれら二つがあわさったとき何が起こるか。
 彼女の場合、人を拾うのである。



 スラムのはずれ、閑静な住宅街。そんな静かな場所に二階建てのアパートがひそりと佇んでおり、そこが現在におけるナツキの住まい……兼、情報屋としての事務所であった。
 レンガ調の壁は経年劣化が見られるものの、どうやら定期的に手入れされているらしい。苔などのない綺麗な状態に保たれているためか、古めき寂れたような印象はほとんど感じられない。管理人が几帳面な人物なのだろう。外観同様、掃除の行き渡りを感じさせる落ち葉ひとつない階段を上りきり、眼前に続く二階の廊下を一番奥まで突き進む。そうして突き当たったところで少女はブレザーのポケットをまさぐり、ちゃらり、鍵を取り出した。
 二〇五号室、簡素なプレートが示す数字。いつも通りに鍵を挿し込んで回せば、ガチャリ、いつも通りの音が鳴る。依頼人と打ち合わせをする部屋でもあるが、それよりなにより、ナツキの「日常」に最も近い自室、であることもまた、事実だ。

 肩の力を抜ける確実な居場所。すっかり朝焼けも綺麗な時間帯になってしまったけれど、そこにようやく、少女は帰ってきた。

「ナツキ、おか……うわ、どうしたの」

 ナツキがそのドアを開き、先ほどの男との戦闘で負傷していた……ことに、帰宅途中にて気付いた右足。それを軽く引きずりながら部屋へ上がると、心配そうにナツキを出迎える目がふたつ。
 片側のひと房だけが肩へかかる程度に伸びた、優しい花葉色の髪。どこかぼんやりしているようにも、あるいは遠くのなにかを見ているようでも――そんな様子の、のんびりした瞬きが時おりさらってしまう焦げ茶の瞳。そして深い緑でゆったり余裕のある厚めなパーカーを羽織る、細身の少年、だった。身長は高くはなく、ナツキと目線もさほど変わらない。

 少年はやはりのんびりした仕草で、しかしナツキに早く居間へと向かうよう促して、壁に手をつき歩く彼女の邪魔をしないようにであろう、後ろへ回る。そうしてわずか眉尻を下げ見守りながら、しかしナツキが怪我をする、ということ自体が珍しいだけであり、現状は大騒ぎするほどぼろぼろなわけでなし。結局は見守るばかりでついて歩く。

「ちょっとね、通り魔と。……暗くてよく見えなかったけれど、鏡見だったかもしれないわ」
「鏡見……たしか、連続殺人犯……? 指名手配もされてるん、だっけ。だとしたら、よくそんな軽症ですんだね……」
「もしかしたら、よ」

 ナツキは少年の心配そうな目線に軽く微笑むと、右足を庇いながら居間を通り越し、更に奥の部屋へと進む。そこは寝室のようで、壁際に置かれた棚から救急箱を取り出して、しかし「おれがやるよ」と言った少年がそれを取り上げてしまう。そうしてナツキにベッドへ座るようにと、指で示した。
 なんだかこれでは、はしゃいで怪我をした子供のようだと。自分のおかれた状況に苦笑いをするナツキとは裏腹、少年はぼやけた無表情のまま手当てを始めた。

「ねえ千代森、今日のご飯は?」
「肉じゃがだよ」
「ふふ、ありがとう。……、記憶は?」
「……かわらないよ」

 千代森。呼ばれたその少年はてきぱき消毒をすませつつ、ナツキの質問に答える。記憶に変わりはない、と。
 この千代森という少年こそが。ナツキが一年前にした「拾いもの」そのもの、なのである。


 いつか、ナツキが用心棒として雇われた先、二人の暗殺者と鉢合わせてしまったことがある。
 三人とも目的――守るべき存在こそ同じであったものの、ナツキが依頼を受けた際の打ち合わせ、そして彼ら二人への指示や任務の予定にもだ、情報屋ないし暗殺者の同行など、組み込まれていなかったのである。そこで完璧に安全に、ともかく「任務を遂行する」ことを選んだ彼らは、予定にない不穏分子は除くべきと判断し……皮肉にも護衛しなければならない人物の真ん前で、異能による戦闘が始まってしまったのだった。
 彼らは暗殺者、戦い――どころか殺しのプロフェッショナル。それが二人がかりとなろうものなら、いくら経験に富み場数を踏んできたナツキといえど、結果などとうに知れていた。途中彼らの上司から指示が入り二人は退いていったのだが、あのときあのタイミングでなければ、今ごろどうなっていたか。難くない想像に冷や汗すらひいたほどだった。

 そして、その戦闘に巻き込まれてしまったのが千代森、だった。
 闇夜に紛れふらついていたところ、視認できていなかったナツキの流れ弾が掠めてしまったのである。侘びをさせてほしいと手当てをしているなか、どうにも噛み合わない会話から彼には記憶が無いことを知り、だったらと同居を始めてしまったのである。
 記憶が戻り仕事を見つけるまでの間、情報屋補佐として働いてくれ。そうナツキから持ちかけた。


 そうして記憶喪失の少年である情報屋補佐、千代森香澄は、今日もこうして家事全般をこなしている。
 ナツキは一人で生きてきたわり、あまりにも不器用がすぎるのだった。怪我こそしないものの料理をする手つきはひどく危なっかしく、恐らく見るものすべてをはらはらさせるであろうし、そして案の定、「強火」しか知らない。洗濯物をたたむのもへたくそだったり、何なら買い物でレジ袋に商品を詰める作業すらひどい有り様なのだ、子供のようにぽいぽい投げ込んでゆく。そんな大雑把、では済ませられないひとで。
 そんな風に毎日何かしらの不器用を披露するため、貸してと代わっているうちいつの間にやら、である。全般が千代森の手に委ねられていた。
 ――ちなみに彼女は気付いていない。あの出会った日の手当てがひどく下手で、あまりに不十分なものであったこと。今日に救急箱を取り上げられたのは、それが原因であることも。

 そういう理由で始まった奇妙な同居生活は、今のところ何の問題もなく、何の変化を迎えることもなく。ただ穏やかなばかりの日々を、繰り返すように送っている。


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