#21

 記憶をはぐらかすようにまばたきをひとつ。

 結局本社に麻木の姿はなく、コーヒーは自分で飲んだ。カフェインは頭が痛くなるから苦手だしどうせ飲むなら甘いほうが好きなのだが、レイにくれてやる気分でもなかったのだ。
 家につくと吉川はそのままキッチンへ消えた。いわく手際の悪いらしい俺は、キッチンへの出入りを半分禁止されている。はっきりと言われたわけではないが邪魔らしい。

 なぜだか家までついてきたレイは、客人のくせ真っ先にソファを陣取った。その左手にはコーヒーカップ。そういや前に来た時、うちにあった安さで選んだようなコーヒーをインスタントながら気に入って、フランス人とのハーフのくせによく飲んでいたのを思い出す。あれ、紅茶が好きなのってイギリスだっけ。なんでもいいか。自分の国の形さえあやふやなのに、他国の文化なんて覚えていられない。地球が丸いと証明されたのは数百年も前らしいけれど、あるらしい空の奥の世界にはまだ行けていないから、国の正しい輪郭さえはっきりとは分からないのだ。そんなところへ行く金があるのなら多分、異能を狩り尽くすなり手懐けるなり、とにかく目先の問題をどうにかするんだろうけれど。それがどうにもならないから富裕層を隔離して、その囲われたなかでいそいそと文明を発達させようとしているのだろう。自分には関係のないことだ。どうだっていい。

「なんでついてきてんの、なんか用?つか昼寝するからソファあけろ。どけ」
「お前もいよいよ麻木に似てきたな」
「...、やめてくんない」

 けれど大人しくカップ片手に椅子へ移動するレイを睨みながら、ごてんとソファに横になる。特に何をしたわけでもないはずなのにどっと眠気に襲われて、寝不足だったとかいうこともないのに、と頭の隅で思う。

 睨んだレイはしかし自分の刺さるような視線なんてなんとも思わないらしく、相変わらず涼しい顔でしゃんと背を伸ばし脚を組み、コーヒーを啜っていた。眠いながらにその姿になんとなく違和感を感じて、ああ、そういえばこいつ左利きだったんだと思い直す。いつも眺めている吉川は右利きだから、多分、そのマグカップを持つ手の違いに違和感を覚えるのだ。左利き、どっかにもう1人いたような気がする、けど、やめよう。頭が痛い。
 レイのそれは、右利きの兄と向かい合って兄の動きをとにかく真似た結果だ、と、いつだか聞いたような気がする。おそらく背を伸ばすのも足を組むのも似たような理由で、じゃあそのコーヒーは、昔に兄の真似をしてブラックで飲んで噎せていたけれど、今も角砂糖2つのままなのだろうか、それともひとつくらいは減らせたのか。
 大して興味もないけれど眠い頭はそんなことを考えて、うとうと、眠りに落ちかけている。流石に砂糖の数なんて、匂いじゃあ分からない。俺は砂糖ひとつとミルクを入れるけど、やっぱりコーヒー自体あまり飲まない。好むのは麦茶だ。

 体は脱力しきって、はやく寝かせろと脳にせがんでいた。なにをそんなに疲れているというのだろう。

「...用、というほどの用はない」

 ああ、それ、まだ続いてたの、ほんとに話あったんだ。けれど眠くて、言うのもやめた。ただ片目の瞼を持ち上げて、ゆるりとレイを見遣る。気がつけばカップは机に置かれて、ソファに寝そべる自分の隣に膝をついては顔を覗き込んでいた。
 金色のひとみ。
 兄のルイに比べて幾分、いや、かなり幼いレイは、その幼さゆえに、感情を隠すことをあまりしない。ずる賢く生きてきた俺たちとは、ルイや麻木なんかとは違うんだろう。彼は思ったことがすぐ顔や口に出る側の人間だ。大人ぶって高慢で毅然としているフリ、なんかを好むくせ、そのしゃんとした表情はすぐ怒りに崩れるし、綺麗に閉じられていた口も子供と対等に喧嘩できるくらい、簡単に開いては大きな声を出す。

 俺とは違う。
 俺はすぐに嘘を吐く。へらへら笑って、予防線を張って、表情から感情が漏れないよう努めてきた。しかし完璧ではないから、そこを麻木に見抜かれつつかれるのだということは分かっていても、それでもレイよりはずっと上手く生きてきただろう自信がある。上手い下手の基準がなんなのかは、置いておくとして。

 だけど、だから俺は、たとえば自分のひとみがこんな風に金色だったって、こんな風に分かりやすく不安に揺らせたりなんかしてやらない。

「...冷えるのか」
「......、ばっかじゃねーの」

 刺すように笑って、持ち上げていた瞼をおろす。次第に目の前は暗くなって、脳は体に眠る許可を下した。冷えてねえよ、落ちる直前に乱雑に放り捨てた言葉は、しかしレイに安堵の溜め息をこぼさせる。
 俺はそんな風にしない。きっとそんなことはできない。分かっているんだろうに、なのになんで彼は、こんなことをするのだろう。俺はお前が生きられなくなったとき、そんな風に不安になれるか分からないのに。そんな自分自身のありさまに、こんなに不安を覚えているというのに。

「...ほっといてくれよ」


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