#22

 突然舞い込んだ仕事の依頼に、千ヶ崎は爛々と瞳を輝かせたはずだった。

 白い砂浜、青い空、輝く海。椎葉率いる一行は、都市部のビーチへ足を運んでいた。
 海開きはまだだが、そのビーチは年中いつでも人で溢れている。遊泳は禁止でもボートはいつでも貸し出されているし、砂浜の利用も自由だからだろう。バーベキューや花火を楽しむため訪れるカップルや家族連れは数多い。
 そんな賑やかなビーチの真ん中で、きゃんきゃんと不満に喚く少女がひとり。

「なんでバーベキューどころか海の家の利用すら禁止なんですか!?」
「そりゃ仕事だからだろ」
「理不尽です!」

 千ヶ崎が砂浜に座り込んで駄々をこねるのを、椎葉が呆れたように見下ろしている。

 彼女たちに託されたのは、ビーチの監視。ナンパや爆竹などの迷惑行為を即刻やめさせること、遊泳をはじめる者がいないか見張ること、そして異能犯罪者が紛れていないか目を光らせること。最後の仕事がメインであることは言わずもがなであれど、都市部に異能犯罪者などそうそうおらず、今回彼女らがここに呼び出された理由も少々大袈裟とされるようなことだった。

 椎葉率いる神田、千ヶ崎の3人は、通称「異専」――”治安維持局犯罪対策部第四課、対異能専門特別戦闘班”、「異能に対抗できるのは異能のみである」という結論に基づき結成された、武装警察組織に所属している。
 この組織はその名の通り異能犯罪の取り締まりを主な仕事としており、とはいえあくまで国からの認識は「異能」。信頼はないに等しく、市街地・都市部勤務はせいぜい護身用の武器の携帯が許可されている程度であって、異能を使用しての戦闘はやむを得ないと許可が下りるまで行えないのが現状である。
 が、そうも言っていられないほど異能犯罪により日常的に血が流れる治安の悪いスラムに勤務している彼女たちに限っては、戦闘行為が特別に常時許可されていた。異能犯罪の多くは痕跡を辿るのが非常に困難かつ「異能であった」という証拠か証言が必要となる。そのため現行犯での確保が何より重要視されており、休日などほぼ無いに等しく、必要があればいつでも出動できる態勢を要求されていた。先述の通り異能であるという差別も変わらず組織内に存在しており、非常に待遇が悪くこき使われているのが現状である。要するに薄給ブラック企業なのだ。

「ったく、便利屋じゃねーんだけど」
「都市部に異能が入り込んだって情報があったから、私たちが呼ばれたんでしょう?都市部勤務の異専はなにしてるんです」
「相も変わらず巡回を強化中。働く気ねーだろあいつら」

 都市部は富裕層の安全の保証を目的として隔離されており、異専などの例外を除き、異能は一切の立ち入りが禁止されている。といっても異能を見た目や検査で判別することは不可能であるため、至る所に異専を配置するくらいの対処しかとれないのが現状であった。そのため都市部内で異能持ちが確認されたとき、こうして市街地やスラムに勤務している戦闘慣れした異専が借り出されるというのは、ままあることらしい。それでも椎葉たちが雇われて数ヶ月、これが初めてのことである。

「酷いですよぅ...せっかく都市部に、しかもビーチに来られたのに、遊びもせず見てるだけだなんて...私たちみたいな底辺にはもう一生縁がないかもしれない所なのに!」
「頑張って働いて這い上がってくれや」
「ひな、泣かないで」
「わーんいおりー!」

 悔しさに泣く千ヶ崎を一瞥することすらなく、椎葉は淡々と監視台から海を眺めていた。神田はよしよし、と千ヶ崎の頭を撫でている手をそのまま動かしながら、椎葉がだるそうに足を組む監視台を見上げ、ふと湧いた疑問を投げかける。

「椎葉、それ、ひとつしかないの?私たちは巡回していればいい?」
「俺がまとめて見とくからどっかで涼んでろよ、結構日差しあるぞ」
「...いいの?」
「大体そんな千ヶ崎連れてたら仕事になんないでしょーが」

 なるほどあやすのは面倒だからお前に任せるといいたいのだ、と合点して、神田は言われた通り千ヶ崎を連れ、とりあえず近くの木陰を目指し歩き出した。
 椎葉は根は優しいことに間違いはないが、同時に根からの面倒くさがりであることもまた事実である。自分を犠牲にして人に気を遣うというような性格でもなさそうなことを、神田はよく知っていた。6年を共に暮らしていただけのことはある。
 けれど神田は好意に鈍い、その種類に。それが本当に好意であるのか、優しさであるのか。彼が守ろうとしたのは果たして神田かそれとも、恩人の忘れ形見か。神田は気がつかないであろうし、また、区別しようとするのをくだらないと思うだろう。



 コンビニの利用は禁止されてませんから、と千ヶ崎が屁理屈をこねて、ビーチのすぐ向かいにあるコンビニでアイスを買ってきた。
 ちょうど木の陰になる位置で防波堤に並んで腰かけて、しゃくしゃくと爽快な音をたてながらアイスを食べる。一応制服を着ているのだが、都市部勤務とはデザインが違うし、スラムへ赴いたことのある市民なんていないだろうからと、開き直った千ヶ崎はくつろいでいた。
 確かに椎葉の言ったように、日差しが強くなってきている。もうそろそろ梅雨だというのに。これを食べたら交代に行ってやらないと椎葉がダウンしてしまうだろう。きっと無駄に長い椎葉は千ヶ崎と2人がかりでも運べないから、早めに休ませなければならない。神田はそんなことをぼんやり、遠くの雲を眺めながら考えていた。

 こんなところに来れることは、3人揃ってとなると、もう二度とないのかもしれない。遊びに来たわけじゃないけれど、監視の目があるわけでもなくて、少しくらいならサボってしまってもきっと怒られない。
 三人でいられるいまをこそ、ひどく大事にしたいと思った。こんなに穏やかな日常なのに、だからなのだろうか、なんの保障だってありはしないから。

 と、そこへ足音が3つ、近付いてくる。
 神田が顔を上げると、そこにいたのは都市部の市民だった。にやにやと締まりのない笑みを浮かべて、千ヶ崎と神田を品定めするように、上から下へと見比べている。

「ねぇ君ら、2人?ちょっと遊ぼうよ」

 ああこれがナンパというものか、と神田は思った。椎葉に教えられたものと全く同じ文句が男の口から発され、ピタリと記憶と繋がった。
 隣で面倒そうな顔をした千ヶ崎が、わたしたちは、と口を開いたのを遮るように、男が1人無遠慮に距離を詰めてきて、千ヶ崎のほそい手首を強引に引っ掴んだ。神田の肩にも気安く手が触れる。
 千ヶ崎が痛いと高く声をあげて、掴まれた右手に持っていたアイスが、滑り落ちた。
 瞬間、神田はかっと頭に血が上がって、すぐさま強く拳を握った。

 彼女の異能は「身体強化」。全力を発揮した神田の身体は鋼よりも硬く、地を蹴れば弾丸のように飛び、拳を突き出せばコンクリートさえも砕く。攻守共に優れた異能で、発動にも時間を要さない。
 ひとつ欠点があるとすれば、彼女が直情的なことだった。山奥で迫害された経験もなく育った彼女は、異能というものへの拒絶を自分からも他人からも一切味わったことがなく、ゆえに意思が伴わずとも異能を発動させてしまうことがある。当然、加減などすべて無視して。外の世界で生きるには、幼く優しい少女には。些か強すぎる異能だった。

 拳を握りこみ振り上げ、そうして、

「落ち着け」

 振り下ろす。
 しかし舞ったのは砂ばかりで、意思に反して急激に失速した神田は、ぺしゃと地に転がった。
 ばっと顔を上げる。そうして見えたのは確かに目の前にいたはずの、けれどそっくりそのままのポーズで数メートル離れ神田を見下ろす男たち、呆然とした目。恐らくは全員が、なにが起こったか分からなかっただろう。なにかの異能が働いたという事実が本能に刻まれたのか、男たちはじりじりと後ずさりして、走ることもせずのろのろ帰っていく。

 おかしい。確かに、千ヶ崎に痛いと言わせた男たちを、殴ったはずなのに。

「ばーか、あんなんしてたらお前が犯罪者だ」

 放心状態のまま遠ざかっていく男たちを眺めていると、入れ替わるようにどこからか現れたのは、椎葉だった。いつも通りやる気のなさそうな足取りで近寄ると、呆れのような感情がひそかに沈む静かな目で神田を見下ろす。そうして気付いた。
 座標移動だ。彼が男たちを下げて、神田の異能から守った。

「...椎葉、どうして」
「もっと賢い方法があんだろ、今のどれだけ異能で強化してたか、自分で分かってんの?」

 その言葉にはっと目を見開いて、握ったままだった拳をひらく、ひらこう、とした。
 なのにそれはぎしりと骨が軋んで痛み、少しだけ指が震えている。そうだ、こんな状態ではビル壁すら粉々にしてしまうのに。
 ゆる、這ったまま顔を動かして、千ヶ崎を見遣る。黙ったままの彼女は目を瞠りながら、息を詰めていた。

 ああ。彼女を怖がらせた。

 どっと恐怖が沸く。ひとを殺しかけたこと、それを大切なひとに見られて、怯えさせてしまったこと。どうしよう、そればかりが頭を巡ったってもうどうにもしようがないことだけが分かっていた。きっと彼女はもう自分から遠ざかって、怖がって拒絶する。異能とは本当は、そういうものだと。頭ではわかっていたのに。瀬東が示して、椎葉が説いて、気をつけろと何度も。

 千ヶ崎の肩はちいさく震えて、

「いおり、かわいい!」

 え、と、そう言う暇も力もなく、地べたに伏したままの神田を、千ヶ崎は駆け寄って抱き締めた。カワイイ?心底理解しかねるといった椎葉の声が聞こえたけれど、聞こえないふりで神田を抱き締めるままの千ヶ崎の腕の力強さに、神田はまた呆然とした。

「ありがとうございます!他人のためにまっすぐに、自らを省みることもなくだれかを守ろうとするいおりが、私は大好きです!」
「いいから立てって、みっともない」

 椎葉の言葉なんか声しか聞こえていなかった。千ヶ崎は恐らく何もかもわざとの知らないふりなのだろうけれど、いまの神田には、千ヶ崎の言葉が頭を渦巻くばかりだった。

 彼女が自分を好きだと言ってくれること。それはとても嬉しくて、いつもなら「私もだ」と迷いなく返事ができていたけれど、いまは、自信がなかった。
 彼女のくれる「好き」と私が抱く「好き」が、正しく釣り合っている自信。彼女を守っていける、彼女を怖がらせず一緒にいられる自信。千ヶ崎を本当の意味で守っていくために今よりもっとずっと頑張らなければならないことが、恐らくはたくさんあるのだろう。異能を制御すること、もっと周りをよく見ること、その他にも自分では思いつかないようなたくさんの努力が必要なはずなのだと強く、深く感じる。それは恐らく千ヶ崎も椎葉も当たり前のように身につけてきた力なのだ、だからここに立ってわたしを守ってくれている。
 今まで自分がずっと前だけを見ていられたのは、こうして椎葉や、それから瀬東が、自分の狭い視野を補ってくれていたからだ。自分はもう甘えていられるだけの娘や妹ではなくなった。
 守りたいひとができた。

「...ありがとうございます、いおり」

 神田をぎゅうと強く抱き締めた千ヶ崎は、裏腹にも耳元で、絞り出すみたいにか細い声でそう言った。


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