ばかなやつ。
 目に留まって最初に思ったのはそんなこと。いつもと大して変わらない感想。

 喧騒から僅かに外れた、屋台の裏、そこに立つ他よりは多少目立つ程度の樹。そんなものが昔から待ち合わせの場所だった。幼いあのころ庭のようだったこの公園などすっかり見向きもしない大人になって、それなのにどこと言わず待っていろと言えばそこに立つ。そういう男なのだ、あいつは。結局は俺だって。
 叔父が着ているから何度か袖を通したことはあるだろうに、まるで慣れてもいないようにその濃紺の着流しの着崩れなんか気にして突っ立っている。腰に下がった巾着に入っているであろう煙草にさえ手もつけず、馬鹿なもので律儀に予定の十分前からそこにいたんだろう。俺が遅れることくらい分かりきっていて、そもそも来るかどうかも賭けみたいな状況で。

 それでもあいつは祭が好きだから仕方ないのだ。どこで買ったんだか知らないが上等な着流しを用意して、裾の広がるのを気にするくらいは仕方ない、仕方ないのだ。
 誰とも行ったことがないから。遠くで上がる花火のひゅるひゅるなんて間抜けた高音と、それが弾ける爆音を、肌で感じたことがないから。真下から見たいと思うのは、それが、子供であればおそらくは「家族」で行くものだと、知っているから。
 通りがかった道の掲示板で剥がれかかったポスターの、夏祭りという文字、花火の時間を、一瞬でも目で追ってしまうのはそういうことだ。そういえば俺その日休みだなぁ、わざとらしくにやけて覗きこんだ顔は存外、素直にぽかんとしたりなんかして。まばたいて、数秒のち。

「いいのか」

 ぽかんとしたまんま、馬鹿馬鹿しい。鼻で笑ってこめかみを指で弾いてやった。

「冗談に決まってんだろ、じょーだん。何が悲しくてしょっぱい花火を男ふたりで」

 ぽかんとしたまんま、ああもう、馬鹿馬鹿しい。
 なんだって俺はお前なんかの、そんな程度の機微を見つけなきゃならないんだ。

 だからわざと三十分、遅れてやった。花火が終わる五分後をわざわざ見計らって、今か今かと。
 ああもう、馬鹿馬鹿しい。俺のスマホは壊れているんだ、多分、絶対にそうだ。修理に出す金もないというのに。

 そいつの視界に入ってやる。気付いて振り向く顔は存外、

「おっせェよ、ばァか。花火始まンぞ」

 眉を下げて笑ったりなんかしやがって、呑気な男だ、殴ってやろうか。
 屋台だって巡りたかったことだろう。食べてみたいものを、ここへ来るまでの道中さんざ見かけて、味を想像したりもしただろう。晩飯をここで済ますつもりで、なんにも食っちゃいないんだろう。
 あぁほら、と宙を指を差す。間抜けな高音が背後で聞こえて、それをこどもみたいな顔で見上げる顔は、昔と変わらない童顔のまま。それもそうか、いや、こいつの時間は今いつで止まっているのだか。
 どん、肌を振動させる真上の破裂音。
 群青のひとみにそれを映して笑って見ていた。

 ああもう馬鹿馬鹿しい。早く帰りたい、付き合いきれない。
 花火に喜ぶその顔を、なんだって見てなきゃならないんだ。
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