あの日の公園を避けるように反対へ路地を抜けて、抜けて、四方をコンクリートで塞がれたようなスラムでは珍しいその土を踏む。こんな真夜中だ、辺りに人の気配はない、ひとつだってない。深呼吸をしてシャベルをきつく握りこむと、容赦なくその土を抉っていった。

「なーにしてんのかな、キミは」

 嘘だ。咄嗟にそう思った、けれど振り返れば確かに人影。人の気配なんてなかったはずなのに。
 ああ、だけど近付いてきた足音を月が照らして明らかにする。正しい、正しい制服をなびかせるビビットピンクのひとみ。思わず肩から力を抜いて、地を掘り返す作業を再開させた。

「見て分かんねェのか」
「分かんねーよ。お兄さんに教えてくれない?」

 怒っているらしい、それもそうか、そうだ。そうだろう。返事をする気にはなれず、ただ黙って土を掘った。
 ぐん、しかし彼は簡単にシャベルを取り上げる。月明かりのした、見上げるカオルは呆れ返っていた。

 こんなに大きくなったのか。俺は、こんなに小さかったか。
 髪の色さえ変わってしまえば彼は俺になど気が付かないとばかり思っていた。そういうことにしておけば、死んでいても忘れられていても全部、俺には関係ない。気付かれなかっただけ、俺に辿り着く手段がなかっただけ。そのくせ毎月彼女のもとへ足を運んで、たった一本の傘を待った。雨が踏まれるまで何時間も何時間もずっと。
 すべてが馬鹿げていたのだ、馬鹿げた矛盾で間違いだった。

「やり直すんだよ、あいつを埋めてここから、俺は」
「で、とりあえず先に穴を掘ってしまおうと」
「そう、だから」
「なるほどねー」

 返せ、と伸ばした腕は子供すぎた。届かない、彼は馬鹿にするように笑ってそれを肩に担ぐ。果ては屈んで目線を近づけて、ああ、馬鹿にしやがって。なにがなるほどだ、こんな。
 喉が引き攣った。罵倒も出てこないまま俯く。

「じゃあ俺も埋めなきゃ意味ないんじゃない?」
「家がもう、焼けてる」
「あはは」
「だから笑えねェんだよ。...また六年だ、クソッタレ、ああもう」
「お前、そんな泣き虫だったっけか」

 食いしばった唇から鉄の味が滲んだ、ただそれだけだ。泣いたりなんかしていない、言おうとしたけれど声が震えるのは分かりきっていて、やめる。一滴垂れた赤い筋をカオルが拭った。

 行くな、行かないで、そう泣いて縋るところから試してみたかった。意味がないことをするのだと分かっているんなら。あの頃の彼にとって俺は、俺、というなにかは、どの程度価値があったというのだろう。知りたいだろう、気になるんだ。
 俺はカオルのなんだったというんだ。

「ほんっとーに、お前はさ。バカだよ」

 またそうやって笑って髪を掻き混ぜるだけだ。わざわざシャベルを地面に突き立てては両手で、ぐしゃぐしゃに、黒いままのこれを。
 どうして優しくできるのだ、相手が「なに」であってもこうだというのか。そんな人間じゃないくせに、じゃあ、俺はなんだ。分からない、汲めなかった俺が悪いのかカオルが伝わるのを嫌がったからなのか、全部、すべて俺だけ分からないまま納得しろ、そう言いたいのか。ワイシャツの裾をきつく握って耐えた。

「掘るだけ掘ってさ、あいつは見つかった?」
「知るか、だけどすぐ出てくるに決まってる、あいつだってやり直したがってるはずなんだ」
「だろうなぁ、そうだろ?」

なぁ、鳴海。

 泣いている顔を誤魔化して俯いていたのだということを忘れた。
 条件反射、なんてもの、じゃない。呼ばれた。カオルに。俺が、呼ばれたのだと分かって、月にはっきり照らされながら情けない顔を勢いよく上げた。

 そうしたらどうして空が近い。彼が、そのひとみが。知らず呼吸は止まる。

「けどさ、体がひとつじゃ結構難しいと思うよ、俺は」

 あのときと同じ目線。
 屈まれなくたってほんのすこし顎を上げればそれだけで、あまりに強いくせ優しい、まぶしい、その牡丹色がある。肩の位置だって彼が誇張するだけで本当はたいしてかわらないんだ、こんなものだった。だから腕だって伸ばせばどこにでも届く、きっと近すぎて頭をたたいてやることすらあんまりにも簡単で。だけど、でも、違う。
 違う、違うんだ、

「カオル、かおる」
「入れ替わって遡るってなそこそこ良い案だったけどな、そーいうのを机上の空論っていうんですよ」
「ちがうんだ、あれは」
「はいはい」

 かばうように俺の背を、カオルのつめたい手がぽすぽすと叩いて、幼子にするように。つめたい手だ、いつもどおりなんかじゃないつめたい手、が、体が。どうして温かい。
 軋むほど歯を食いしばって必死にその制服に、縋った、縋ったけれど俺の背が伸びて髪まで染まればもう、遅い。どれだけきつく目をつむろうとも遅すぎる、なにを願っても試してもすべて無駄だ。だってもう当然届いてしまうその胸元に、とっくに、いつからだ、正しい青さが
ないままだ。ないんだ、なくしてしまった。あるのは鮮烈な赤、俺の罪が飛び散って滲んで広がったままだと鉄の匂いが知らしめる、今、それだけ。

 これが今だ。こんなものが。

「せっかく掘ったんならさ、いい加減埋めてくんねえ?せめてここでくらい」
「...やだ...」
「はは」

 だから、笑えない。
 ごめんなさいも言えないのに、そんな文句はもっとずっと、出てこなかった。
 ここから出て行きたいかどうかすら俺は、俺がなんなのか知れないままでは、分からないのに。


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